四国村に展示されている古民家

 

香川県高松にある四国村(四国民家博物館)へ行って来ました。

四国村は源平の古戦場として知られる屋島に四国各地の古民家を移築し、昭和51年に開設された広大な野外博物館です。江戸から大正時代にかけての建物が29棟保存されており、四国のシンボルともなる有名なかずら橋なども展示されています。また、平成14年には建築家・安藤忠雄氏の作品「四国村ギャラリー」も立てられています。園内は2時間ぐらいで回れます。

 

〒761-0112 香川県高松市屋島中町91

087-843-3111

入場料大人1,000円

 

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小豆島歌舞伎舞台

古民家では有りませんが、テレビも無かった時代人々の唯一の娯楽として歌舞伎が春と秋のお祭りに上演されました。小豆島は瀬戸内海に浮かぶ島ですが、古代には「あずきしま」と呼ばれ、中世には「しょうずしま」と呼ばれ、現在でも醤油やオリーブ、素麺などの日本有数の生産地となっており、小説「二十四の瞳」でも有名です。この歌舞伎舞台は、残されていた落書きから江戸時代末期の物と推測され、歌舞伎の役者は地元の農民でした。茅葺き屋根に観客席側だけ瓦屋根の下屋を設けた平屋造りで、廻り舞台、楽屋、チョボ(義太夫)の床、お囃し座なども設けられています。

三崎の義倉(ぎそう)

義倉とは稲や麦を貯蔵して置き、飢饉の際に種もみや食料として支給する制度で奈良時代にはすでに制度化されていたそうです。この義倉は昭和15年頃まで土佐清水で使われていたようでその後四国村に移築されました。(土佐清水市指定有形文化財)平時は閉じられている扉のデザインが何となく高知らしさを感じてしまいます。

石蔵

香川県国分寺町にあった石造りの蔵。石蔵は明治中期に作られたもので四国では珍しく、当時贅沢だった煉瓦を床に貼っている。現在でも狂いが出ておらず非常に優れた技術を見る事ができる。

重要文化財 旧河野家住宅

愛媛県小田町の急斜面に建てられていた住宅。入母屋造の茅葺き屋根を下屋まで葺き下ろした構造。土間脇に茶の間、その奥が座敷となった二間造。部屋の床には竹が敷かれていて各部屋に囲炉裏もある。寒い山間の住まい方が残されている。  

土間には和紙の原料にする為のコウゾを蒸すクドとその上に大きな桶が吊るされている。十八世紀前半頃の建築と推測されている南予を代表する民家である。

砂糖〆(しめ)小屋

江戸時代後期現在の香川、讃岐は砂糖が特産品であった。薩摩の黒糖に対して讃岐は白糖の日本一の生産量をほこり讃岐平野にはサトウキビ畑が広がっていたという。円形のこの建物は四国に二棟しか残っておらずその両方がこの四国村に展示されている。大変貴重な資料である。  

円錐形の屋根の垂木の組み方や、大きな曲がり梁を多用した小屋組は大変面白く、曲面の大壁も珍しい。二棟の内1棟は1865年後の建築、もう1棟は明治初期の物とされる。内部には三個の石臼が置かれ、牛が腕木を引き回した。建物が円形なのは牛の回転に合わせたものと推測されている。大きさは開口間口とも四間(約7.2m)  

茶堂

村の入り口に悪霊払いの意味で建てられ、のちに地蔵盆や弘法大師の命日などに通行人に湯茶を振るまったり、お遍路さんの休憩に利用された。時には村の集会所としても利用されていた。四国には古来このようなお堂が道沿いに数多く建てられていた。この堂は土佐から伊予への龍王街道にあったもので、土佐脱藩の道として、坂本龍馬もひょっとすればこの堂で一休みしていたかもと書かれていました。歴史のロマンですね。  

旧江崎燈台退息所

兵庫県明石海峡を望む淡路島に明治4年に建てられた日本で八番目の洋式燈台の退息所です。この退息所は石造りで奥行き60cmの厚みの切り石を積んでおり、木造トラスで桟瓦葺きの屋根である。中廊下式の間取りで平成7年の阪神淡路大震災で壁面に大きなヒビが入り四国村に移築修復されました。

大久野島燈台

広島県竹原市の沖合にある小さな島に明治26年建設された燈台である。

 

燈台の光源は当初石油が使われていたが、大正14年からアセチレンガスが、昭和11年から電灯に変わったそうです。平成4年老朽化の為に建て替えられ四国村に移されました。   

旧鍋島燈台退息所

香川県坂出市の沖合に浮かぶ鍋島にあった燈台退息所。江崎燈台と同じくイギリスの技師R・H・ブラントンの設計。石造で正面に6本の円柱がある。壁の石の厚みは60cmで、桟瓦葺きの屋根。内部は暖炉のある部屋や和室もある洋式燈台の詩のの黎明期の建物である。円柱のある玄関庇部の軒天がラチス状になっており小屋裏の換気をはかっているようで面白い。(当時からそのような構造だったかは不明)

旧クダコ島燈台退息所

愛媛県松山市の沖にあるクダコ水道にあるクダコ島燈台の退息所。明治36年に完成。燈台は現在は無人化されており、それに伴い移築されて来た。煉瓦造りで外壁はモルタル仕上げ、屋根は桟瓦噴き。内部は左右に分けられ2家族が生活できるように押し入れ付きの和室が作られている。別棟のお風呂も移築されている。明治後期の建築のため初期の退息所とは異なった点も多く、和風の要素が強くなっている。

楮(こうぞ)蒸し小屋

土佐は高級和紙の産地であり、楮や三マタを釜に入れて蒸す為の小屋である。間口3間、奥行き2間の寄せ棟茅葺き屋根の下にかまどが据えられ大桶のフタのをあげ降ろす為の装置が付けられています。

旧下木家住宅(重要文化財)

1781年の建築とされ、上屋梁、下屋梁に穴をあけ1本の柱を通すという「おとしこみ方式」で組まれている。

 

 

ケヤキや樫の木など地元の木を使い建てられている。奥の間の仏壇の前の床は小さく開くように作られ家人が無くなった際に湯灌の水をそこから床下に流して魂が家の中にとどまる事を願ったとされている。また床下には芋などを貯蔵する為の穴も5つ掘られています。

久米通賢先生旧宅

江戸時代全国の塩の生産量の半分を占めていたのは香川坂出市でした。その基礎を築いたとされる久米通賢氏で、この建物は彼が建てたものになります。寄せ棟茅葺き、下屋は桟瓦葺きの24坪でした(移築前)現在は休憩室として解放されています。讃岐を代表する江戸時代の科学者久米通賢の住宅が残されているのは大変貴重だと思います。

旧中石家住宅

平家の落人の村として有名な祖谷の民家です。平国盛の子孫と言われる阿佐家に近く、けわしい山膚にしがみつくように建てられていました。母屋18坪、隠居屋13坪半、納屋8坪でいずれも茅葺き葺き降ろしの18世紀後半の建物です。面白いのは隠居屋は母屋より床が低くつくられており、床への上がり下りが楽なように配慮されている。いわば昔のバリアフリーという事でしょうか。

旧前田家土蔵

高知平野部に明治初期建てられた間口3間、奥行2間の土蔵で、壁は7寸の厚みに土が塗られている。屋根は二重になっている鞘(さや)屋根。雨の多い地域であり壁には3段の水切りが設けられ横殴りの雨があたっても雨水の侵入を防いでくれる。土蔵の横には番屋と呼ばれる建物があり、隠居部屋もかねていた。

旧丸亀藩斥候番所

香川と愛媛の県境にある箕浦港に建てられていた寄せ棟造の18世紀末頃と見られる斥候番所。軒先の瓦には丸亀藩の京極家の家紋が付けられている。建物内部は表と裏で二分され、民家とはかなり異なる間取りである。

旧吉野家住宅

切り妻屋根の本瓦葺き12坪で柱などは全て手斧で削られている。漁師の住宅であり、土間は狭いが、土間から上がった床は濡れた物を置くのに都合がいいように竹のすのこ張りになっている。周囲には強風を防ぐ為の石垣が巡らせられている。

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